いい加減ちゃんと研究の勉強しないと本籍のあるほうの大学から怒られるのでこの日は空知の端のほうへ足を運んだ。
6:30に起きて7:30のバスで札幌へ向かうつもりだったが起きたら8時。早速やらかす。気を取り直して1時間遅れで予定をすすめてゆく。このごろ寝つきが悪いようでだいたい2時前になってしまうのが原因だろう。札幌からは特急に1時間弱揺られて滝川で下車。砂川、滝川、深川、旭川と川のゲシュタルトが決壊しているが、すながわ、たきかわ、ふかがわ、あさひかわと交互に濁ったり濁らなかったりなので案外覚えてしまうと何かが楽。
滝川からはバスで歌志内を目指す。ロータリーで待っているとおばあちゃんが時刻表を見てから少し会話した後に「美唄行くバス1時間半後なら電車乗って帰るわ」と去っていったのが印象的だった。滝川発のバスは一度砂川(市立病院)まで戻ってくるので交通費の圧縮に余念のない方がいれば参考にしてほしい(滝川→砂川はバスで20分ほど)。滝川を貸切で発車したバスは各停留所でちまちまと客を拾い、砂川の病院と十字街でどさっとおじいさんとおばあさんを乗せてどんぶらこ、どんぶらことペンケウタシナイ川、パンケウタシナイ川を遡上せずに川沿いの道路を進んでいった。砂川で乗ったおじいさんとおばあさんは上砂川町内でほとんどが降りた。ちなみに、砂川からは歌志内線のほかに(函館本線)上砂川支線がほぼ並行する形で存在した。どちらも運炭路線である。うんたん♪
砂川から歌志内までは40分ほど。途中の上砂川にも炭鉱資料館はあるが土休日のみの営業。
市街地という停留所で降りたけどこの田舎っぷり。人口は3000人少々と市のなかでは全国最少。
これが歌志内市郷土館ゆめつむぎ。滝川から中央バス赤平昭和or宮下町ゆきで1時間、砂川市立病院から40分"歌志内市街地"下車すぐ。案外こういう情報ってHPになかったりして不便。
かつては営業係数(100円の営業収入を得るためにいくらかかるかという指数)が64と全国で4番目(1963年)という時期もあったが晩年は400ほどだった。北海道炭礦鉄道(のちに北海道炭礦汽船 、通称:北炭)によって開業されたため先述の通り運炭路線であり、3セク化も検討されていたが空知炭礦の閉山が避けられない状況となったためバス転換となった。
歌志内線関連以外にも昭和の家電(レコード・テレビ・真空管アンプ等)が所狭しとディスプレイされている。
地階は炭鉱資材の展示。電気は自分でつけるスタイル。
炭車、客車、ショベル、バッテリーロコなどどこの炭鉱博物館にもありがちなラインナップ。しかし、小物の展示点数はけっこう多め。
そう言われるとご飯に味噌汁かけないなあ。お粥あまり好きじゃないからか。
坑内従業員募集のポスター。
空知炭礦末期の史料。
コールカッター。写真にはないが炭鉱長屋の一日といったプロジェクションマッピングみたいなやつもある。
約1時間見て回ってバスがちょうど出てしまったのでセコマへ行くことにした。
イートインはなかったので小屋になっているバス停で食べた。まだ思った以上に時間があったので来た道を戻る。
逆方向(滝川方面)のバス停
長屋式の炭住を見るのも何度目だろうか。ここでも使われているかはわからないが存在はしていた。
たぶんPARKing PARKはギャグ
妙にだだっ広いこの側線がParking Parkなのだろう。ちなみにこの付近が旧歌志内駅で駅舎は現在の郵便局の位置(ゆめつむぎの奥)にあったらしい。また、焼山~歌志内の廃線跡はサイクリングロードとして整備されている。
【乗車録】
→札幌駅前(中央バス[83]札幌駅前) 札幌200か19-14
札幌→滝川(カムイ9号/旭川) モハ789-1007