すぬぺ自由帳

気がついたらどこかにいるやつ。

ツアーを終えて

 ツアーが終わって少し経った。6月15日の解散発表から数えて8ヶ月半、7月14日のHOMEツアー開幕からは7ヶ月半と長いような短いような。SSAまでは1週間ほど、これは短い。この間、色々思ったこととか何やらあるのでしっかり推敲することなくそのままに書いてみようと思う。

 まず、全33公演中31公演に足を運んだ。打率っぽく書けば.939(33-31)であり、行っていない2つは市原夜と座間の日曜夜。前者はただ単に昼しか取れなくチケを深追いしなかった、後者はイベ被りしていた。ちなみに安野希世乃とWUGはめちゃくちゃ被る(座間&横須賀)。

 昼と夜どっち行っても大して変わらんやろという考えの人間なので、1会場で複数公演あっても1回しか行かない場合がかなり多く、Part1千穐楽の大宮公演までで例外になるのは去年のよっぴーソロイベのみであった。現に4th福岡、広島、わぐりす、グリフェスは昼のみ、Part1は先述の通りである。基本的にめんどくさがりで自分で取れなければ諦めるタイプの人間なのでこうなった。

だいたい複数公演ある場合に1~2曲だけ変わったほかは一緒というパターンを過去にずいぶんと味わっていることもあり、「片方でいいや」という人間であったが今回はそうもいかなかった。当然基本形態からいえば昼と夜の差は数曲なのだが、それ以上に場の空気感というのが良くも特殊なのものであった。HOMEツアー、客と演者という関係ではないのだろう。それが家族、親戚、はたまたそれ以外のものにその一体感は各地で名物によって例えられてきた。

 解散からPart1が終わるまでの間にいろいろなことがあった。理解と有休を得るために事を全て話しその流れで推しを知られたり(自ら墓穴を掘った)、大学とバイト、時々イベントで休みが消えたり。アニサマの日が偶然休みで無理して行ったのもいい想い出。時々つべから解放区を流してくる店長や、定期的にライブどうなん?と聞いてくる異動になった社員だったりと皮肉なことに話題は尽きない。

 Part2、岸和田の最初は3階1列だった。座間で1階A列(最前)を当てていたこともあり、ある種の当たり席と冗談半分で言っていたが実際に大当たり席だった。WUGのライブで初めて客席を俯瞰する席でその一体感というものを確りと目の当たりにすることになった。それはPolarisの白→赤→推とBtBの白のペンライトだった。ブレードの類を使っていない人間であったため岸和田では買わずに終わった。しかし、この公演のリーディングライブかMCで「3階から見たら客席はサイリュームの星空なんだろうね」という話があったことは書いておかなければならない。盛岡、横須賀までは期間が空いたほか、諸事情でそこまで気や手が回らなくなったこともあってやはり買わなかった。しかし、横須賀夜の5階席(バルコニー)で再びそれを目の当たりにしてブレードを買うことを決心した。

 また、Part2では関東関西のほか盛岡でも公演があった。メンバーの出身地[大阪(まゆしぃ)、仙台(あいちゃん)、神奈川(みなみ)、熊本(よぴ)、徳島(ななみん)、岩手(かやたん)、千葉(みゆ)]と埼玉、長野、愛知の10府県12会場を回る中で初の関東・関西圏外の公演である。いつものように関東に「通う」という表現がふさわしいくらいに行き来している自分も、ライブで地方へ行くのは2018年ソロイベが初めてだったように、WUGがあってこそだと感じる。盛岡の企画コーナーではイーハトーヴシンガーズによる言の葉青葉の合唱。映像化されず残念だったが、6月に盛岡で再演されるようなので何としてでももう一度聴きたいところ。地元をライブで感じてその後に郷土料理屋で一人酒をするのがこのときからの恒例になった。このときはカウンターであのi☆Risおじさん(よぴ推し)とかや推しの3連番で感想であったりWUGとの馴れ初めの話。おじさん以外は今夜に盛岡を発つこともあって短時間だったが酒と料理片手に話を咲かせた。

 そしてPart3。このツアー全体の半数の6会場を8週間で回るという超過密日程。

 KADODEの開幕は熊本であった。やっときたよっぴーの凱旋ということで気合が入るが、玉名で震度6弱を被災し週明けにはインフルに罹ったりと踏んだり蹴ったり。このときは熊本に3日滞在したけど回りきれなかったので近々再訪したい。企画コーナーはわたしの樹。あれが映像として残らないのは惜しすぎるが、強く記憶に残すしかない。内容ももちろんのこと、新幹線が止まったりインフルに罹ったり、花を出したりといろいろ忘れられないライブだった。

このとき、ようやっとペンライト(ブレード)を買った。「推しの凱旋に手ぶらで入るわけにはいかない」、「水色を灯さなければ」という気持ちはもちろんあったが、「3階や5階から見た星空の一部になりたい」という気持ちが強かった。やはり、気はあっても持ち歩く癖はなかったため徳島と愛知は家に忘れてきた(愛知初日は借りた)。

 次の地方公演となった長野。大雪で夜行バスが走り切れるかわからないという状況で大阪を出る。同じ目的でバスに乗る人も勿論いて、同じ列にフォロワーがいて驚いたり当日券を握ったフォロワーと初めましてができそうでできなかったり(愛知でリベンジできた)。この日も夜は飲み屋にふらっと入って、みゅー推しのおっちゃんと野沢菜の天ぷらを食べながらカウンターでちびちび日本酒片手にちびちび話をした。青森のソロイベも来ていたというので「その時もこんな雪でしたよね」とか「仙台まであと4週ですよ...」とか「さようならのパレードもう聴きました?」といったことを。披露されるまで新曲聴かない縛りをしていた人だったのでこの当時は聴けていなかったが、これを書くころには『さようならのパレード』も披露され、仙台も終わっているというのだから時が過ぎるのは早く残酷なものである。

 2月はわぐりすらん+ツアーで毎週末どこかしらにいるという過密を通り越しクレイジーな日程。ただでさえ行く、逃げる、去ると言われるように短いこの時期というのにそれはもう大変。

 徳島は淡路島を縦断してすぐという立地で、昨春にマチアソビへ行った時のことをここでも紹介した。鳴門は小6の頃ぶりのはずだ。車で来たこともあり飲めず、翌日は羽田に飛ぶ予定があったためゆっくりしてられず終演後にラーメンを食べて帰った。ななみんの企画コーナーはオオカミとピアノで寝る、『ここにしかない徳島』のカバーであった。

 愛知、メンバー個人で仕事があったり(岐阜だがやおらじ等)はしたものの7人で来るのは初めて。実際自分も愛知でライブというのは4年半ぶりだった。ここは誰の地元というわけでもないため企画はキャラソンメドレー。振付のなかに鯱や味噌煮込みうどん、きしめんなどを入れる自由っぷり。この日は長野のリベンジを果たし、舞台に詳しいフォロワーと機材があーだこーだという話をした。

 そしてWUGの聖地であり、あいちゃんの地元である仙台。もう少し重い空気なのではないだろうかと心配だったがそれは杞憂に終わった。「あと何回歌えるだろう」とカウントダウンが迫っているという話は終盤になるにつれ出てきてはいたがその延長のように感じた。エクストラステージとはいえSSAという1回が残されているのは心理的にもかなり違うのだろう。仙台のことは後々のブログでしっかり書きたい。

 全国をこうも飛び回っていると、お土産の選び方がわかるようになるという謎能力が身についたりもした。北は盛岡、南は熊本までこの一連で足を運んだが、その土地を五感で感じることは大事だと気付いた。これからいろいろな土地へ足を運ぶことが減るのは確実だろうが、巡った土地のことを天気予報を見るたびだったり些細なことでも思い出したいと思う。