すぬぺ自由帳

気がついたらどこかにいるやつ。

収監 (7/7)

きょうは中野サンプラザでの安野希世乃バースデーライブへ。メドレーでI-1曲が昼は運命の女神とシャツとブラウスが入っててめちゃくちゃびびった(夜はjewelry wonderlandと止まらない未来だったそう)。余力があればいつか書きます。

 

目覚ましが鳴ったのは7:30ごろ。21:30ごろに寝落ちしていたらしい。

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JYAPANESE TRADITIONAL BREAKFAST って感じ。干物(ホッケ?)なんて滅多に食べないので骨を除けたりするのに難儀。

チェックアウト10時、列車は10:30と時間があるので食後は朝風呂に出かけた。

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バスも出ているが帰りはホテルの送迎車に乗った。硫黄山(アトサヌプリ)がよく見える。余談だがめちゃくちゃ飛ばす。
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バスの半分ほどの時間で駅へ戻った。妙に車が多い。
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どうやら駅前のカフェが人気で買いに来る人が多いそう。折角なのでごまサブレを買って帰った。
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木彫りの熊。鮭を抱えているので世間一般のイメージとは何か違う。
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快速しれとこ摩周号。前日の快速みたいに通過駅が多くはなく、普通に注釈で通過駅が書いてあるような感じ。

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海沿いなので知床斜里を出たあとくらいだろう。釧路側ほどではないが観光客の比率も高い。

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おそらく馬。よそとは違い柵とかが見当たらないのが不思議。

やむ!べつ駅。

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川湯から網走までは1時間半ほど。付近にモヨロ貝塚がある関係でアイヌ人の像に迎えられる。縦書きの駅名看板は横道にそれないようにという意味らしい。

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顔出し看板は収監者。なかなか攻めててすき。

簡単に見てからバスまで1時間あるのでタクシーで監獄へ向かった。道中に現在の網走刑務所もレンガで覆われていて監獄は移設されたものであるとか、踏切の近くから見える湖(網走湖)は冬場ワカサギ釣りで大人気という話を聞いた。監獄までは1300円ほど。
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ちょうどお昼どきだったので入る前に食堂へ。獄中で出される食事を再現した監獄食A(サンマ)とB(ホッケ)が人気だがふつうのメニューもある。ちなみに獄内ではみそ汁ではなく番茶が出るほか、AとBで副菜も違う(Aの場合は春雨サラダと切り干し大根)。

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入場門してまず見える門。円形に2つ突き出ているのは面会者控室と受付。

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庁舎

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休泊所と呼ばれる持ち運び用の建物、またの名を動く監獄とも。特に明治20年代までは刑務作業の名で道内では道路開削や石炭掘り等の過酷な作業により死者が続出した。時代背景として西南戦争などの内乱で政治犯島流し的に続々と道内に収監されるなかで収容能力が限界に迫るなか、囚人を使い捨て労働力として原始林の道路開削に使い開拓を進め、人数が減れ(死者が出れ)ば監獄費の節約にという考えが明治政府にはあったと考えられる。一般人の入植が進むにつれ脱獄囚の恐怖に怯えることが増えた、本州から土工部屋が流入といった変化により縮小してゆき、囚人労働が問題視されたことにより明治27年に廃止された。それ以降は土工部屋によるタコ部屋労働が行われるようになった。

とザックリ説明を書いたが枕代わりの丸太をたたくと囚人が起きるので「叩き起こす」の語源ともいわれている。

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休泊所での食事風景。

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所内では自給自足を目指し農業も盛んであった。そのため味噌や醤油を作る施設が作られた。写真の味噌・醤油のほかに漬物を作る蔵もあった。

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監獄歴史館では現在の監獄に関するものも多い。

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独房

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雑居房

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二見ケ岡刑務支所。農園で所内の食糧を担うほか作業を自立的に行える処遇施設としての側面を持つ。舎房から炊場まで備えるため刑務所の分所といった立ち位置なのかもしれない。

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舎房の入口

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第一庁舎。すべて雑居房

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庁舎内の通路

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独居房

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浴場。出所前日は1人でゆっくり浸かることが許されているらしい。

だいたい回るのに1時間半ほど。オホーツクは夕方なので2時半ごろのバスで流氷館へ向かった。
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停留所1つだが歩けば30分ほど。地下が流氷館、1階が物販、2階にカフェ、屋上は展望台。

地下は流氷の概要の映像が15分おきくらいで流れている。海洋生物もちょっといる。

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ナメダンゴ
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クリオネ

マイナス15℃を体感しようコーナーがある。似たようなのが小樽に流氷凍れ館というのがあったが現在はないもよう。
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キタキツネ

適当に回していたら凍った。

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屋上の展望台。手前が網走湖、奥が能取湖。海側は海以外特に島が見えたりしない。

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市街地へ降りてきてバスターミナルへ。駅前で降りてもよかったが時間があるので終点まで。網走ビールを買った。

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改札は発車20分ほど前。前回は札幌・網走側にスラントノーズの200代がついていたが、4年ほどの間に両側貫通型になり北斗のグリーン車が回されるなど大きく変化した。

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遠軽までは前面展望のできる席。若干傾斜がついていてテーブルとして使ってもいいのかわからない空間があるが広々としている。

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夕食。正規の机は缶が乗るほどの幅しかない。網走で買ったビールとかにめし。流氷ドラフトは区分上発泡酒になるので気持ち安い。青い中身を見てみたかったが移すコップがなかったので断念。かにめしは当時の遠軽の例に漏れずスジが入っていた。

飯能を跨いでレッドアローに乗った記憶がないのでやったことはない。ちなみに遠軽の停車時間でホームの自販機で食料調達をできると案内があるが、普通の自販機の一角でカロリーメイトを売ってるものだった。

なんとなく札幌まで行ってもよくね?という気になりアンケートを取る。旭川で降りた途端に札幌にどんどん票が入る羽目に。TLはドS。
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結局10分後くらいを走る宗谷に乗って札幌へ。自由席がそこまで混んでいなくて助かった。あすの指定券を変更してからネカフェに入った。

 

【乗車録】

川湯温泉街→川湯温泉駅(ホテルの送迎) トヨタVOXY(2代目)

川湯温泉→網走(快速しれとこ摩周号/網走) キハ54-524

網走駅前→網走監獄(網走ハイヤー) 北見500あ・845

博物館網走監獄→オホーツク流氷館(網走バス/北方民族博物館) 北見200か・424

オホーツク流氷館→網走BT(網走バス/網走BT) 北見200か・424

網走→旭川(オホーツク4号/札幌) キハ183-9562

旭川→札幌(宗谷/札幌) キハ261-104