歌志内からバスで10分少々で赤歌警察署へ到着。赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設へ向かう。ここも駅から徒歩15分とざっくり案内があるが、警察で降りて歩けば5分ほどで到着するので歌志内方面から来る際はこれがおすすめ。
バスの去っていったほうへ進むと踏切が見える。そこから駅方面を1枚撮るが中央の本線のほかに少なくとも両側に1線あった形跡がある。(踏切内より)
ガイダンス施設はコンクリ平屋建てでカフェ併設、駐車場は普通車20台。一旦通り過ぎて案内書きのほうへ。
立坑やぐらと巻き上げ機械の入った建物。近くにあるピンクの2階建ての施設は旧炭鉱事務所。
14:15ごろに到着し1日2回の立坑やぐらガイドツアー(10:00と13:30)は終わっていたが、誰もいないからとガイドをつけてもらえることとなった。グループで800円なので大所帯で行くほど得。ガイドをつけなければ入場自体はタダだが、後に出てくる施設内部へ入ることはできない。
赤平炭砿についての座学や諸注意を受け、ヘルメットを着けて建物内へ入ることとなる。この日のガイドさんは救護隊で閉山まで働かれた方だった。
建物入って最初にある車止めのようなもの。炭車を押し返すものであり、突放されるかたちで炭車は自動的に建物内を走行できるようシステムされている。
手前の斜坑用の人車は実際にここでは使われていないもので他から持ってきたもの。1列に3人とかなり窮屈。奥のケージ(篭)は4段になっていて1段に炭車1両、または18人乗車可能で人間が乗る場合は両端に鉄のすだれをかける。秒速12mぐらいの速度で降下上昇するため気圧の変化で耳がおかしくなるらしい。
このケージに18人入るのはかなり窮屈に見える。
4つあるなかで1と2、3と4がペアになっており3と4が550mまで潜る。
ここの目玉でもある直径5.5mの巻上機。三菱造船製。
説明はこの画像に譲るとしてワイヤーと巻上ドラムの摩擦のみで動かしていたそうだ。
巻上機操作室。能力的に1100mまで対応していたが、実際使われていたのは印の打ってある600mまで。
閉山から捲られず今日を迎えたカレンダー。この操作室奥側には発電機がありブレーキで発電(回生ブレーキ)して事務所等の地上設備に使用していたらしい。また、特大のレンチも置いてあり柄をハンマーで叩いて回したという。
2階から操車場を見下ろす。
出る間際に1枚。この日は暖かいこともあってか中にブヨが飛んでいた。足場の悪いところも多いので運動靴や虫対策で羽織れるものがあるとよさそう。
この日は施設で集合写真を撮る予定があるというので待機時間の間に施設内の無料エリアを見て回った。
地上と坑道の関係を表した模型。
各種看板。ガイドさん豆知識なのだが住友石炭鉱業株式会社赤平炭砿立坑と厳密にはコウ読みだけでこのように書き分けられており「土の中に入って石を掘って(会社の)金になる」という覚え方があるそうだが、書類の関係でどの字かわからなくなることもあって基本的には鉱で統一されている。(時代によって表記ゆれは存在する。)
コールピック、つるはしなどたくさんの機械工具。
死と隣り合わせの現場であるから災害撲滅には力が入る。赤平砿では幸い閉山に直結するような大事故はなかった。
のんびり見ていたら集合写真も終わったようでガイドさんから手招きされ軽バンに乗って自走枠整備工場へ。車であれば数分で到着する。
右側のロードヘッターは三井三池製。
三池(大牟田)の記事参照。
その後ろについている自走式ベルトコンベヤーはアメリカJOY社(コマツに買収)製。シャトルカーというのが正しいらしい。
JOYのなか。
ただのショベルではなくアームの根元も可動するすぐれもの。正式にはユニバーサルバックホー。ここに1台が残るのみ。
赤平砿オリジナルのカッター。ボーリングの要領でカッターを回転させることにより通気坑(孔)、搬路などを掘削した。
ドラムカッターと自走枠。
坑内の水平部を走る人車(水平人車)。この場合海抜-550mの西南、100m単位で1号なので1500mの場所に行くという意味だそう(ちゃんとした読み方があるのだが失念)。
バッテリーロコ。出っ張っている部分がバッテリーでスライドさせて交換することができる。
コンベア関連のモニタだろうか。
メタンガス監視機器が並ぶ。台数の多さが坑内の長さを思い起こさせる。滲んだ記録紙が入ったままの機械もあった。
ロードホールダンプ。前輪にチェーンが巻かれているのは坑内のぬかるみ対策。バックホーも無限軌道(キャタピラー)である。
北炭機械製のホイスト(天井)クレーン。ちなみに巻上室にあったものは住友機械製で35t。コールピックはコンプレッサーに繋がれており現役で使用可能。校外学習の小中学生がブロックを壊す体験をするそう。
ガイドさんの好意で赤平駅まで送っていただけるということで列車の20分前くらいまで自走枠整備工場の機械機器をじっくり観察していた。これもこぼれ話であるが、赤平砿の地中にあるとされる石炭のうち6%しか産出していないという。
赤平駅は市交流センターも入っていて立派である。
列車は駅舎側から出るのがほとんどだが乗る列車は例外だったので跨線橋を越えた。跨線橋より茂尻側はロープが張られていて入ることはできない。
めちゃくちゃ主張が激しい。柱という柱が赤平と訴える。
広い駅構内。ホームのある右側の線路も使われていなく錆びていた。ここも炭都として各砿に専用線が延びてここから各地へ運ばれた。そういう一時代が垣間見える場所。
さらに側線は軌道内から木が生えたりと自然に還ろうとしていた。
対向列車が特急接続で大幅に遅れるというので乗車列車は赤平を定時で出て東滝川で行違いを行った。単行のディーゼルカー、向かいのブロックに座るセーラー服の女子高生のポニーテールのもみあげが外の風で靡いていて少し早い初夏の訪れを感じさせた。
滝川には8分ほど遅れて到着して札幌まではバスで帰ることにした。留萌からの便は乗務員交代もあるため少し早く到着した。4列で公式側最後部にトイレのあるエアロエース。SAPICAでポイントが付くのがありがたい。
【乗車録】
歌志内市街→赤歌警察署(中央バス/宮下町) 札幌200か・985
赤平→滝川(普通/滝川) キハ40-828
滝川駅→札幌駅前ターミナル(中央バス[るもい号]札幌駅前) 札幌200か43-03
札幌駅前→ (中央バス[83]西岡4-14) 札幌200か・701